

うん。そうだよね、知ってたよ、ちゃんと。 …って言いたくなる帯。
おびただしい数の人形と、出逢っては別れを繰り返してきた京都の人形店の主人が綴る、人形をもとめ、人形を愛で、人形をつくり、人形に選ばれ、人形に救われ、と、さまざまなかたちで人形と関わりをもつ人間たちとの交流の記録。
淡々とした筆致からは、商売人として付かず離れずの距離を保ちながら人形たちと接してきたことが伝わってくる。目をかけつつ、慈しみながらも、劣情や偏執とは無縁に。他方で、ぽつりぽつりとその断片が語られる著者の人生には、つまらない言い方だけれども人形が確かに必要で、あまたの人形たちとともに長い時を過ごすことは必然だったのだろうとも想像がつく。
つい忘れそうになるけども、人形好きを自認する自分が、人形との関わりという点でいかに過激派に属するのかということを思い知る(隣に写り込んだ背表紙の文字列にその片鱗が出た)。根本的な部分が変わることはこの先も恐らくそうないと思うけれども、年齢を重ねるにつれ、もう少し穏やかな接し方にも目を配れるようになっているような気もする。
人形が見つめているのは、永遠なのだそうです。
それを見つめる人間たちの、眼差しの寂しさのなかに宿る温かさを、愛し続けられるといいなと思う。
ところでこの帯文、この子は私を見てくれてるっていう人形に対する期待を戒めるためのものだと思って勝手に納得していたけど、中を読んだらその逆で、自分が見られてる気がするという人形への忌避感に向けられた言葉だったみたいでした。どっちにしても、思い上がり。
