

本日訪れ展示を見て講演会も聴いたのち、暗いもやもやが渦巻いておりまだ消化できておらず、それはいつかあまり近くない将来になんらかのかたちで、おそらくまったく別の文脈で、吐き出すことになるのかなと思う。
それを一旦於き、選定されて展示された物と文とに虚心で触れるなら、生涯を通し徹底して女性に寄り添い女性と向き合い続けた吉屋信子の言葉と姿勢には、やはり只々胸を打たれるばかりだった。
少女とは、女とは、少女と女にとって少女と女とは、少女と女にとってブンガクとは(その逆も)、漠然と大きすぎる問いばかりが浮かんできたけど、日本においてこれらを考えるうえで吉屋信子は決して外すことのできない存在なのだろうと感じます
──それは甘つたるいものである。
むやみと感傷的なものである。
こんな二つの大さつぱな観念で「少女小説」は片づけられている。まるで有害の毒々しい紅い染料を塗つたサッカリン入りのアメダマの如く考えられている。
(中略)
だが、大人の文学よりは、安易だろうから小遣かせぎに書こうと言っても成功しない、そうしたものは敏感な彼女たちにすぐボイコットされる。少女小説は才能というよりは、むしろ気質と運命のようなものの下にこそ書き得るものだと私は信じる。その気質とは少女の世界に深い愛情を持つことである。それは童話が子供への愛情なくして成功しないと同じように。
吉屋信子「少女小説」(『白いハンケチ』) 公式図録より
ところで、吉屋は中原淳一から「わすれなぐさ」の少女2人をモデルに彼の作った2体のお人形をもらっていたことを知った!
