• 丸い天窓の中に最期にみた空間は、逞しい薔薇色の脚の踊り子に守られていました。

    初めて訪れたのがいつであったか忘れてしまった。残り二日間のこの展示の後、建物が解体されるのだそうです。

  • すばらしく壮大でドラマチックな(蝋)人形小説です。

    不気味でキュートでグロテスクで、怒濤でむごくて凶暴で、お茶目でかなしくて必死で、凄まじい憎しみが蔓延しているかと思えば、儚く小さいながらも確かな愛情がある。熱くて柔らかいけれど硬質でひんやりしていて、まったく人間ではなさそうなのにやっぱりものすごく人間だったりもします。

    のちにマダム・タッソーとして、ロンドンに蝋人形館をオープンすることになる、「おちび」と呼ばれていた女性が綴った生涯の回想。

    舞台は革命期のフランスです。

    ゴシック系のドールを愛好する方の心に刺さるはずなのは確信できるのですが、人形好きの自覚がない方も、蝋とか石膏とか解剖器具とか標本とかギロチンみたいな、命のないモノたちにうっとりして心を閉ざすのに落ち着く方。…みたいな性癖がなくても、宮廷とか見世物とか民衆とか革命とか、めくるめく人間模様に血が滾るわって方にも読んでみてほしいです。そのどちらも好物っていう方には極上のエンタメであるかと思われます。

    私はまだ本場のマダム・タッソーを訪れたことはないのですが、行かれた方はぜひ。

    でも、今はなき東京タワーの蝋人形館の、カーテンの奥にあったあの怖いお部屋に入って、ぞくぞくしたっていう記憶のある方にもおすすめできそうです。お化け屋敷やサーカスの雰囲気が大好きな人もきっと楽しめる気がする。

    装丁がかわいくて、読まなくてもインテリアになるので、とりあえず買ってみるのがよいです。

    絶賛してしまった… 刊行はすでに1年近く前なのですが。

    #人形の日

  • 「あなたたちのおかげで、良い解答を得られたわ」
     幸子の言葉に誰もが顔を見合わせた。目のまわりに隈を作ってまで読書三昧していた彼女のことを思うと、気味が悪かった。
    「で、作家は、どういう女が好きか解ったって言うの?」
     りえ子がおそるおそる尋ねた。
    「もちろんよ、なかなか大変な女性がお好みみたいよ」
    「へえ……」
     幸子は得意そうに話を続けた。
    「もと逆説的形容詞の頭につく娼婦で料理上手で夫をたて、決して能動的にセックスを求めず、あらがいながらもそれに応じて言葉にならない言葉を発し浮気をされてもへっちゃらで、病人の看病が上手く葬式慣れしていて忘れっぽく教育されることを好み隣りにげろを吐かれても人生の深淵をのぞいたと理解をしめす女よ」

    山田詠美「逆説がお好み」『快楽の動詞』文春文庫、1997年 

     

     

  • Aussi l’hiver, près des vitres ruisselantes, sous le cercle étroit de la lampe, l’été
    sur un banc de jardin, entourée d’un bourdonnement d’insectes, des bruits légers
    de la nature au repos, j’ai recommencé bien des fois mes livres d’enfant. Le
    bonheur m’en a duré longtemps, augmenté peu à peu par des détails inaperçus,
    des surprises, un charme de compréhension lentement complétée. S’ils avaient ou
    non un intérêt, une valeur, je n’en savais rien. Aux affamés dans leur précipitation
    tout semble bon, car le goût est une faculté de loisir. Seulement je me souviens
    d’une grande émotion à chaque livre ouvert, de cette oppression singulière qui
    s’allège des pages feuilletées, comme si l’on avait en soi-même une partie des idées,
    des sentiments exprimés là et qu’on se sente heureux tout à coup de les voir fixés,
    traduits, plus clairs de tout le talent de l’auteur et de la netteté des caractères
    d’impression…


    Julia Daudet. Enfance d’une parisienne, Paris, Charavay frères, 1883, pp. 40-41.

  • Hope, often a fracturing, even a traumatic thing to experience, is among the energies by which the reparatively positioned reader tries to organize the fragments and part-objects she encounters or creates. Because the reader has room to realize that the future may be different from the present, it is also possible for her to entertain such profoundly painful, profoundly relieving, ethically crucial possibilities as that the past, in turn, could have happened differently from the way it actually did.  

    希望という、その経験がしばしば破壊的でトラウマ的ですらあるものは、修復的なポジションに置かれた読者がみずからの出会う、あるいはみずからの創り出した破片たちや部分対象たちをまとめあげようとするときの、エネルギーのひとつである。未来は現在とは違うかもしれないと気づく余地があるからこその読者は、とてつもなく痛ましく、とてつもなくほっとする、倫理にとって欠くことのできない可能性を受け入れられるのだ——過去もまた、それが実際に起こったのとは違うやり方で起こり得たかもしれない、というような可能性を。

    Eve Kosofsky Sedgwick. Touching Feeling: Affect, Pedagogy, Performativity. Durham : Duke University Press, 2003, p. 146. 
    イヴ・コソフスキー・セジウィック「パラノイア的読解と修復的読解、あるいは、とってもパラノイアなあなたのことだからこのエッセイも自分のことだと思っているでしょ」岸まどか訳『エクリヲ』第12号、185頁。