• お友達に誘ってもらい、Maison de la culture du Japon のイベント「Genre et féminismes dans le Japon contemporain(現在の日本社会におけるジェンダーとフェミニズム)」に出かけた。

    https://www.mcjp.fr/ja/agenda/genre_et_feminisme_japon_contemporain_jp

    まず会場に入って驚いたのは、20代, 30代の若者というよりも、年配の方が、男女問わず聴衆の半分以上を占めていたこと。文化会館的な施設の催しであることを思えば不思議ではないけれど、外国におけるジェンダーとフェミニズムというテーマの講演会が開かれたとき、日本でもこの比率になりえるだろうか? 質疑応答も盛り上がり、同性婚をめぐる裁判、MeToo運動、アニメ・マンガにおける女性の表象、日本の外国人のセックスワーカー、日本の大学におけるジェンダー論や女性学の扱いなど多岐に及んでいだ。

    これまで知らなかったのだけれど、「日本の女性は働かずに家にいる」というステレオタイプがあるらしい(友達に確認したら、本当、特にわたしたちの親の世代は、とのこと)。あと、「良妻賢母」は« la bonne épouse et la mère avisée »と訳される。

    講演はまとまっていてわかりやすく質疑応答も面白くてとても良い経験になったのだけれど、唯一、冒頭の館長さんのご挨拶が、ジェンダーをめぐる話題の時に最もやってはならないパターンのお手本のような感じで頭を抱えてしまった。

  • 新刊紹介で目に止まったこの本、色々な意味で興味がある。

    http://sayusha.com/catalog/books/plolita

    ただ、「支配に見せかけた愛について」という副題にちょっと引っかかりを覚えたので検索したら、原題はBeing Lolita: A Memoir Reliéだった。邦訳がどうなのかは、読んでみないとわからない。

  • 日本のアンスティチュ・フランセ、フランス大使館監修のパンフレット「自由に生きたい女性のためのフランスの本」がWebで公開されている。ダウンロードしてみたけれど、内容がとても充実していて勉強になる。華やかで活気があるレイアウトがすてき。

    https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/recommandations-de-lecture/

    目次は次の通り。

    第 1 章: フランスを代表するフェミニスト
    シモーヌ・ド・ボーヴォワール
    モナ・ショレと魔女

    第 2章 : 女になる
    子どもの本
    さまざまな生き方
    もっと深めたい方に : 日本未発売の本 原書に挑戦しても

    第 3 章: 女であること
    人生のさまざまな年代
    フランス文学の偉大な女性作家たち : フランソワーズ・サガン、マルグリット・デュラス、アニー・エルノー、エレーヌ・シクスー
    新しい声と表現の形
    もっと深めたい方に : 日本未発売の本

    第 4章 : 女性たちの闘い
    まず読みたい、闘う女性たちの作品
    虐待と暴力
    もっと深めたい方に : 翻訳が待たれる本、原書に挑戦

  • Odéonのあたりを歩いていて見つけた、ウインドウ一面、Jules Verneに飾られたお店。このあたりは本当に素敵なお店が多くて、アンティーク・ドールのお店も二軒ある。そのうちひとつはVerneのお店と同じ通り沿い。

    流し読みをしていたヴェルヌの『気球に乗って五週間(Cinq semaines en ballon)』の刊行年は、La Poupée modèleを含む三冊の人形雑誌が刊行されたのとちょうど同じ年の1863年で、Hetzelによる『教育娯楽雑誌(Magasin d’Éducation et de Récréation)』の創刊の前年にあたる。

    気球の制作方法に関する説明の箇所、ほぼ頭に入ってこなかったけれど材料に挙げられていたグッタ・ペルカ(gutta-percha)の文字に目が止まる。この素材はちょうど1850年頃から人形の制作にも使われており、Adélaïde Huretがその始まりとされている。

    *

    Le docteur Fergusson s’était retourné, lui, et plus d’une fois pendant ses voyages, et si bien retourné qu’il avait beaucoup vu. En cela, d’ailleurs, il obéissait à sa nature, et nous avons de bonnes raisons de croire qu’il était un peu fataliste, mais d’un fatalisme très-orthodoxe, comptant sur lui, et même sur la Providence ; il se disait poussé plutôt qu’attiré dans ses voyages, et parcourait le monde, semblable à une locomotive, qui ne se dirige pas, mais que la route dirige. « Je ne poursuis pas mon chemin, disait-il souvent, c’est mon chemin qui me poursuit. »

    ファーガソン博士は振りむいた。旅行中、彼は何回も振り返った。だから彼はたくさんのものを見てきた。そういう点に関しては、彼は自分の気のむくままに行動した。彼はどうやら運命論者らしかった。だが、正統派の運命論に立って自分自身だけを頼りにし、その上で摂理に従うのだった。旅行に惹かれるのではなく、押しやられるのだ、と言っていた。そして機関車のように世界をめぐった。それも、きまった道を進む機関車ではなく、道を求めて進む機関車である。 「わたしは、わたしの道を行くのではない。わたしのあとにできるのがわたしの道なのだ」ときどき、こんなふうに言うことがあった。

    Jules Verne, Cinq Semaines en ballon, Paris, J. Hetzel et Compagnie, 1863.
    ジュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』手塚伸一訳、集英社文庫、Kindle版、 1993。

     

     

  • Kenshi Yonezu, POP SONG

    MVが公開されたとの報を目にして、お昼にちょっと休憩のつもりで視聴したらもろにショックを受けてしまい、その余波で午後を潰しかけた、じゃなくて、潰れた。彼のこれまでのMVのなかに見られたいくつかの要素はわたしの嗜好を正面から突くもので、その方向性がこのMVで全開になった、と思う。でも、ここまで開花されるのね、化けるのね。一通り曲を聴いて歌詞も読んでみて、前回のアルバムの『STRAY SHEEP』を経て、世界の今の状況下で、こんな曲が作られたということが嬉しくてならず、勇気づけられた。「ぜんぶくだらねぇ」って吐き捨てても許される人というのはそうそういないので、この人にこそ言ってほしかった、と思った。

    PlayStationのCMソングというのも大事だわ。

    「カムパネルラ」もわたしのもうひとつの大好きな曲であるけれど、この振れ幅の大きさよ。確かあのMV公開の時には、遠くに置き忘れてきた嗜好にぶっ刺さる、とか言っていたな。